暑い日が続くと冷たい清涼飲料水がつい飲みたくなりますね。
美味しいジュースは魅力的ですが、そこに含まれる糖は時として体に肥満や糖尿病などの害を与えます。
今日は新しいメカニズムで血糖値を下げる新薬候補の論文がScienceの7月号に掲載されましたので、こちらを紹介したいと思います。
この論文は2019年に第一三共が発見した、GLUT4という糖のトランスポーターの発現を制御する低分子化合物について、Frank McCormickなどのKRAS研究の大御所と協力してそのメカニズムと、マウスでの効果を明らかにした論文です。
低分子化合物なので内服でも効果がでており、将来インスリンに代わる治療選択になるかもしれません。臨床応用に向けて第一三共さんには引き続き頑張ってほしいなと思います。
ちなみにBack to backで、同じくFrank McCormickが関与しているKRASの阻害薬の論文が同日掲載されています。こちらはがん遺伝子であるKRASを阻害することから腫瘍に対して効果を示しており、Undruggableと言われたKRASも治療薬の開発が進んでいるんだなと思います。
論文名は「Molecular glues that facilitate RAS binding to PI3Kα promote glucose uptake without insulin」です。
https://www.science.org/doi/10.1126/science.adr9097
KRASの阻害薬の論文は
「BBO-10203 inhibits tumor growth without inducing hyperglycemia by blocking RAS-PI3Kα interaction」になります。
https://www.science.org/doi/10.1126/science.adq2004
KRASとは??
KRAS(Kirsten rat sarcoma viral oncogene)は、1960年代に発見されたラットに肉腫を引き起こす、ラット肉腫ウイルス(RASウイルス)に由来します。
1982年、KRASはヒトがんで初めて同定された“がん遺伝子(oncogene)”の一つとして報告されます。大腸がんや膵がんなどで高頻度に変異が見つかり、KRAS研究はがん分子生物学の中心的テーマとなりました。
しかし、RASタンパク質は薬が結合するポケットがほとんどなく、GTPとの結合も強固なため、長年“undruggable(創薬不可能)”とされてきました。近年になって、KRAS G12C変異を標的にした共有結合阻害薬 sotorasib がFDAに承認され、KRASを標的とした新薬開発が加速しています。
KRASと糖尿病の関係
糖尿病治療は、長らくインスリンを中心に進化してきました。1型糖尿病ではインスリン注射が欠かせず、2型糖尿病でもインスリン分泌を補助する薬が多く用いられています。
インスリンは脂肪や筋肉に発現するインスリン受容体に結合すると、PIK3αの活性化=>Aktの活性化=>GLUT4の細胞膜への移行が起きて、GLUT4によるグルコース取り込みがおき、血糖値が低下します。
2型糖尿病では「インスリン抵抗性」が発生しますが、その原因の一つに PI3Kα経路のシグナル低下 により、グルコースの取り込みがうまく行かなくなることがあります。
KRASはPIK3αに結合してその活性化を促進する機能を持っており、がん細胞ではKRASとPIK3αのシグナルを通じて、代謝の活性化が起きています。この低分子化合物はこのKRASとPIK3αの結合を促進する分子糊(Molecular glue)として機能することで、GLUT4の発現を亢進し血糖値を低下させることが明らかになりました。
📈 研究の出発点 ― GLUT4を制御する化合物の発見!
研究チーム(第一三共)は、2019年の論文でインスリンなしでGLUT4を細胞膜に移行させられる化合物を探すため、スクリーニングを行いました(https://www-sciencedirect-com.kyoto-u.idm.oclc.org/science/article/pii/S0960894X19302999?via%3Dihub)。
- モデルとして使ったのは L6筋芽細胞(ラット由来)
- GLUT4(ブドウ糖トランスポーター)をmycタグ付きで発現させ、膜移行を蛍光で可視化
こうして見つかったのが、D223とD927という2つの化合物です。両者は共通の骨格を持ち、インスリンのように濃度依存的にGLUT4を膜に移動させることが確認されました。
🧩 なぜインスリンなしでシグナルが流れるのか?
通常、インスリンは受容体を介してPI3Kαを活性化し、下流のAKTをリン酸化することでGLUT4を動かします。しかし、D223/D927はインスリン受容体に作用せずにPI3Kαを活性化していました。Figure.1では様々なリン酸化の経路を調べて、他の経路が動いていないことを示しています。
🔍 メカニズム解明の鍵は「RAS」
化学プロテオミクス解析の結果、D223/D927はPI3KαのRAS結合ドメイン(RBD)に結合していることが分かりました(Figure 2)。
- 通常のRAS-PI3Kα結合親和性:KD ≈ 17 μM
- D223/D927存在下:KD ≈ 17〜44 nM
つまり、D223/D927が“糊”として働き、RASとPI3Kαを強固に結びつけることで、AKTシグナルが流れるのです。
🔬 構造生物学が解き明かした“糊付け”の仕組み
X線結晶構造解析により、D223/D927がPI3KαのRAS結合後メインにある、βシートとα1ヘリックスの間のポケット構造に結合するすることが明らかになりました(Figure. 3)。
- ポケット形成に関与するアミノ酸:V196, Q205, Y207, I221, K228 など
- D223/D927がこのポケットに収まり、RASのY40とR41と直接相互作用
これにより、RASがPI3Kαに結合しやすい立体構造に固定されます。
🐭 動物実験の結果 ― 本当に血糖は下がるのか?
最後にラットやマウスを用いた実験で、この低分子化合物が血糖降下に効果を持つことを明らかにしています(Figure.5)。
- Zucker fatty rat(インスリン抵抗性モデル)
- D927を単回経口投与 → 血糖が急速に低下
- 骨格筋や心臓での糖取り込みが増加
- db/dbマウス(2型糖尿病モデル)
- 慢性投与でHbA1c(糖化ヘモグロビン)が改善
- STZマウス(1型糖尿病モデル)
- インスリンがほぼ欠如するマウスでも血糖改善
これは、インスリンがほとんどない1型糖尿病でも作用する化合物である可能性を示します。
⚖️ 何がすごい? そして何が課題か?
✅ すごい点
- インスリン非依存的に血糖を下げる初の分子糊
- RAF-ERK経路(増殖シグナル)を活性化せず、代謝シグナル(PI3Kα-AKT)のみ選択的に活性化
- 1型/2型両方に効果がある。また経口投与で効果がある可能性がある。
⚠️ 課題
- 長期安全性:PI3Kα活性化は腫瘍形成に関わるため、がんリスク評価が不可欠
- 免疫系・代謝全体への影響:PI3K経路は多様な細胞で使われているため、副作用の範囲を精査する必要あり
🔗 関連研究 ― “Molecular Glue”と“Molecular Breaker”
同じ Science 号にはBBO-10203という「molecular breaker(分子ブレーカー)」の研究も掲載されています。こちらは逆にRAS-PI3Kα結合を阻害し、がん治療を狙ったもの。
- D223/D927:RAS-PI3Kαを“つなぐ” → 糖尿病治療候補
- BBO-10203:RAS-PI3Kαを“切る” → がん治療候補
まさに同じ分子間相互作用を“つなぐ”か“切る”かで、全く異なる臨床応用が見えてきます。
📌 おわりに ― 未来の糖尿病治療は「分子糊」になる?
この研究によって「インスリン以外でインスリンのシグナルを活性化させる」というアプローチが本格的に見えてきたことは、糖尿病研究における大きな進歩といえます。
糖尿病に苦しむ患者さんがより簡便に血糖コントロールできる治療の実用化に向けて、今後も開発が進むことを期待しています。
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